山内一豊と千代

  

                             
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                                       山内一豊 (マウスポインターを写真の上へ)

  


              

                   織田信長                         豊臣秀吉                    徳川家康
               

    
   年代表
            西 暦     年  号      主  君
          1546年    天文15年                但馬守盛豊の第二子として尾張国黒田城にて誕生
          1559年    永禄 2年                織田一族の争いで尾張国岩倉で兄、父が討たれ流浪の身になる
          1567年    永禄10年     織田信長     織田信長に仕える
          1573年    天正元年      織田信長     羽柴秀吉の配下に配属され、朝倉義景征伐の戦いで三段埼勘衛門を討取り
                                          近江唐国で四百石の武将となる。
          1590年    天正18年     豊臣秀吉     小田原征伐に参戦 
                                          掛川城主となり五万石を拝領、掛川城下町を整備、形成する。
          1600年    慶長 5年     徳川家康     秀吉亡き後、妻 千代の進言により徳川家康に忠節を表明
                                          家康に権力が流れるように尽力 土佐二十万石の大名になる。
          1605年    慶長10年     徳川家康     61歳で死去 高知の日輪山に葬られる。 その後、京都の大通院に移される。







                                  
                      
                         出生地 愛知県一宮市黒田                 一豊と千代はこよなく愛した岐阜で結婚
                                                                   (岐阜公園)




                      

                      山内神社 (高知市)             山内家下屋敷(高知市)          一豊の父 盛豊 ・ 兄 十郎 の墓
                   一豊・千代が合祀されています       幕末に建てられ国の重要文化財         (愛知県一宮市黒田 法蓮寺)







                       

                    郡上八幡城(岐阜県)                     高知城                      長濱城(滋賀県)