織 田 信 長


                                   

                                    
                                              織田信長の坐像(レプリカ)
                        
                              信長の死後1周忌法要の為に秀吉が仏師「清康」に製作させた木造の等身坐像で
                             最も実像に近いと言われています。
                             本物は、国指定重要文化財に指定され京都の総見院にあり、非公開像ですが特別に
                             複製が許可され岐阜城に展示されています。




                   

                          小牧城                       清州城                      墨俣城

               信長が稲葉城を攻略する為に、美濃を    織田家宗家の居城 信長は織田一族を   信長が美濃攻めの為 美濃国の長良川と
               一望できる小牧山に築いた山城です     制止するこの城を手中に納め天下取りに   犀川の合流点、洲の股の橋頭保
                                           挑みます                      秀吉が蜂須賀小六らの力を得て築いた
                                                                      俗にいう「一夜城」です


              年 表
               
                 年 号     西 暦           内                 容
                天文 3年   1534年    尾張の戦国大名 織田信秀の嫡男として那古野城(現名古屋城)にて誕生
                天文18年   1549年    美濃の戦国大名 斎藤道三の娘 帰蝶(濃姫)と政略結婚
                天文20年   1551年    家督相続
                永禄 3年   1560年    桶狭間で今川義元を討つ
                永禄10年   1567年    稲葉城を攻略 岐阜城と改め「天下布武」の印を用いる
                元亀 元年   1570年    姉川の戦いで妹婿 浅井長政・朝倉義景の連合軍を破る
                元亀 2年   1571年    比叡山を焼き討
                天正 3年   1575年    長篠戦いで武田勝頼を破る
                天正 7年   1579年    豪華絢爛の安土城 完成
                天正10年   1582年    本能寺に於いて明智光秀に攻められ自刃