中山道のんびり散策


                醒ヶ井宿 (滋賀県米原町)


                                        


                                     醒ヶ井宿は京に近く中山道 六十一番目の宿場として大勢の人々が訪れ数々の
                                     民話が受け継がれています。
                                     次の六十二番の宿場 番場は長谷川伸原作「番場の忠太郎」で有名になりました。



                              

                            日本武尊(ヤマトタケルノミコト)                                  居醒の清水
     
                       伊吹山に人々を困らせている大蛇が住みついていました。  景行天皇より大蛇の退治を命じられた日本武尊は剣を抜いて大蛇を退治しました。
                       大蛇の猛毒にやられた尊は高熱などに冒されやっとのことで、醒ヶ井の地に着きこの清水で体や足を冷やすと不思議にも高熱の苦しみもとれ
                       体調は回復しました。
                       それからこの水を「居醒の清水」と呼ぶようになり、醒ヶ井の地名の原語になったようです。  

   

                   柏原宿 (米原市)


                           

                                      柏原宿は六十番目で「太平記」にすでに記載されている中世いらいの宿場




                                                       

                                      寝物語の里                                    京極氏の菩提寺 徳源院の庭

                     岐阜県と滋賀県の県境にあるこの史跡は、江(近江)濃(美濃)
                     国境にまつわる「寝物語」の伝承地です
                     昔、国境の小さな溝を隔てて建つ両国の旅籠の泊客どうしが
                     話ができたことからついた呼称です。



            岐阜県  
                 垂井宿
                 

                                                                   一里塚                               松並木

                                  日本橋から57次の宿場です。一里塚は国の史跡に指定された交通史上の重要な遺跡です。
                                  松並木は夏の日除け、冬は雪除けになり旅人を守りました。

                            
          
                                                    曳山祭り 岐阜県重要有形民俗文化財
                    
                                        南北朝時代から天皇の安泰祈祷を行い曳き回したのが始まりと言われています。
                                        江戸時代になり子供による歌舞伎が演じられるようになりました。

           
                赤坂宿
                

                             

                                       赤坂港跡                                            本陣跡

                                       赤坂宿も垂井宿と同じ中山道57番目の宿場町として賑わいました。
                                       赤坂港は産物や金生山の石灰等を運ぶ水運交通の重要な要所でした。



                           
           
                                     お茶屋屋敷跡                                          矢橋家住宅

                      織田信長の岐阜城にあった千畳敷御殿を移築したものと言われ、徳川家康が上洛の道中に旅舎として利用するため設けられたもので、
                      二代将軍秀忠や千姫も泊まっています。現在は矢橋家のボタン園になっています。


              
                美江寺宿

                      

                            美江寺本陣跡                    美江寺観音                                 瑞光寺


                
                加納宿
                        加納城下町として美濃最大の宿場を誇りました。


                             遠ざかる 都と知れば旅衣
一夜の宿も 立うかりけり    

                                      皇女和宮の歌碑                                                加納宿本陣跡
                                              将軍家茂との結婚の為、中山道を江戸へ向かう途中、加納本陣で詠まれた歌

                               皇女和宮 弘化3年(1846年)仁孝天皇の皇女として誕生
                               文久2年(1862年)幕府の公武合体画策により、中山道を経て将軍家茂の許に降嫁
                               幕府倒解後、徳川家の存続と官軍・幕軍の衝突回避のため尽力をする。 明治7年(1874年)薨去。



                      
                         

                             東番所跡                      亀姫の墓                               西番所跡
                                      
                                          徳川家康の長女 加納藩城主 奥平信昌の正室



                    太田宿                   
                          木曽川の太田の渡しを控え、行政文化の中枢として重要な地点となっていました。




                            

                                   本陣門                       旧太田𦚰本陣 林家住宅                       佑泉寺