斎 藤 道 三
長浜城歴史博物館展示
鷺山城
城址と城の謂 岐阜城から見た鷺山城 礎 石
築城の礎石ではないかと言われています
岐阜城の西方3KMほどのところにある標高68mの低いやかにあります。
文治年間、佐竹美濃別当(常陸介)秀義が鎌倉幕府よりこの地を拝領築城 永正に入り美濃守護職・土岐政頼の弟、土岐頼芸が
改めて築城し居城としました。
天文23年斎藤道三が子・義龍に家督を譲り隠居所としました。 弘治2年、道三が義龍との戦いに敗れてその後廃城になりました。
系 図
深芳野
− 義 龍
長井新左衛門尉 - 斎藤道三
− 帰 蝶
小見の方
信 長
斎藤道三 明智光継の娘・小見の方と結婚
斎藤義龍 土岐頼芸の子といわれている
織田信長 道三の娘・帰蝶と結婚
明智光秀 土岐氏の支流 長山城主・明智光継の孫
信長の正室・帰蝶は従兄妹にあたる
三代将軍・徳川家光の乳母 春日の局は従兄弟の子になる
長山城が土岐頼芸に攻められ滅亡 流浪の身になる
羽柴秀吉に討たれたのは、別人で光秀は生き延び徳川家康の
ブレーンとして活躍した、南光坊天海との説もあります
年 表
年 号 西 暦 内 容
明応 3年 1494年 誕生 父 長井新左衛門尉
永正 元年 1504年 京都妙覚寺に入門 法蓮坊と言われる(?)
− 山崎庄五郎と名乗り、油売りとなり諸国を巡回し美濃に到着
− 長井新左衛門尉 美濃守護職・土岐氏の重臣となり長井豊後守と名乗り
土岐頼芸を守護に仕立てる
− 道三 長井規秀と名乗り父の権力を受け継ぐ
天文 7年 1538年 美濃の守護代 斎藤利良が病死
天文11年 1542年 美濃守護職 土岐頼芸を攻め美濃の国を盗む
天文16年 1547年 信長の父・織田信秀の稲葉山攻めを壊滅する
天文18年 1549年 娘 帰蝶(濃姫)を織田信長に娶らせ、織田家と婚姻になる
天文23年 1554年 家督を子の義龍(土岐頼芸の子と言われている)に譲り鷺山城に隠居
弘治 2年 1556年 息子 斎藤義龍と戦い戦死